2017
02.20
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人本主義を貫く情熱家。株式会社高齢社の上田研二
60歳から75歳までの高齢者を登録し、東京ガスやその関連会社に派遣する株式会社高齢社。代表取締役会長の上田研二は愛媛県の比較的裕福な家庭で生まれました。しかし上田研二が小学校5年生の時に父が失業し、一家の生活は苦しくなったので、上田研二は小学生ながら家計を助けるために新聞配達やアイスキャンディ売り、割りばしのラベル張り、田んぼの草取りなど、手当たりしだい仕事をします。大学進学を諦めた上田研二は高校卒業後、姉からもらった3万円を握りしめ、急行列車に22時間30分揺られ、東京ガスに就職します。メーターの検針業務から始まった東京ガスでのサラリーマン生活では上田研二は遅刻の常習犯だったそうです。しかし新しい上司に出会えて仕事で活躍していきます。1979年からは本社勤務となり、この頃から企業経営について見識を深めていくようになりました。1991年から2003年までは東京ガスの関連会社2社に出向します。就任2年目で単年度黒字を達成し、5年目には借入金12億円の一掃を成し遂げました。
そんな経歴を持つ上田研二によって2000年に株式会社高齢社は設立されました。それは定年を迎えた経験豊かな社員が、働く意欲があるのに働く先を失って、家族に煙たがれてしまっている現状を目の当たりにしたからです。常に人本主義を貫き、人間味あふれる社徳ある会社作りを目指している上田研二は起業して3年目でパーキンソン病と診断されてしまいました。肉体に不自由を感じつつも情熱は失うことなく上田研二は仕事にまい進しています。